夏の夕方、窓の外からじわりと熱気が入り込んでくる時間帯に、わたしはドレッサーの前でしばらく動けなくなっていた。明日の夜はパーティーだというのに、手元には三本のフレグランスがあって、どれを選ぶべきか、まるで決められない。
コスメを選ぶとき、リップやファンデーションは比較的すんなり決まる。でも香りだけは違う。まとった瞬間から、もうその場の空気に溶け込んでしまうから、取り返しがつかないような気がして、毎回少しだけ緊張する。
2026年、フレグランスは「感情をコントロールする」ものとして、特別なシーンに寄り添う存在になりつつある。
それはコスメの中でも、もっとも内側に近い選択だと思う。
三本のうちひとつは、去年の秋に代官山の小さなセレクトショップ「ルミエール・ド・パルファン」で出会ったフローラルウッディ系。試香紙を手首に当てたとき、ほんの少しだけ迷って、結局その場で買った一本だ。ベースにはサンダルウッドのやわらかな温もりがあって、トップはすっきりしたベルガモット。主張しすぎず、でも確かに存在している。あの夜、帰り道の電車の中でずっと自分の手首に鼻を近づけていたのを思い出す。少しだけ周りの視線が気になったけれど、それでもやめられなかった。
2026年のフレグランストレンドとして注目されているのが「ネオ・グルマン」と呼ばれる方向性で、バニラを軸にしながらもミネラル感やレザー調を帯びた、多面的な香りの表現だ。
残りの二本のうちのひとつがまさにそれで、甘いのに甘くない、不思議な奥行きがある。パーティーという場を考えると、これも候補に入る。
でも、香りを選ぶとき、わたしが必ず意識するのはTPOだ。
パーティーや特別なイベントでは、華やかなフローラル系やオリエンタル系など印象的な香りを選べる。手首や首筋などの上半身につけてしっかり香らせても良いシーンだ。
明日の会場は、友人の誕生日を祝う夜のレストランパーティー。ドレスコードはスマートカジュアル。重すぎず、でも軽すぎない。そのバランスを香りで表現しなければならない。
子どもの頃、母がお出かけ前に香水をつける姿をよく見ていた。洗面所の小さな鏡の前で、耳の後ろに一吹きするだけ。それだけで母が「よそゆきの人」になる気がして、なんだか神秘的だった。香りって、スイッチみたいなものだと、あのとき思ったのかもしれない。
三本を並べて、もう一度それぞれの香りを確かめる。
フローラルウッディは、やさしい。包み込むような、でも押しつけない温かさがある。バニラ系はどこか大人びていて、夜の空気に馴染みそうだ。三本目は、
アールグレイにハーブのタイムを加えたような清涼感と奥行きを持つ、「知っているのに新しい」感覚の香り。
これはこれで面白いのだが、今夜のパーティーにはもう少し華やかさが欲しい気もする。
窓の外では、夏の夕暮れがゆっくりとオレンジ色に変わっていく。風が少しだけ動いて、カーテンがそっと揺れた。その瞬間、なぜかフローラルウッディに手が伸びた。理由は、うまく言葉にできない。ただ、「この夜に似合う」という感覚が、指先より先に動いた。
パーティーなどのイベントシーンにふさわしい香りをまとうことで、洗練された立ち居振る舞いにつながる。
それは大げさな話ではなく、自分が「この香りをまとっている」という意識が、姿勢や表情を少しだけ変えてくれるということだと思う。コスメの力って、そういう内側からの変化にもある。
香りは、見えない。でも、確かに伝わる。やさしく、でも確かに、自分という人間を語ってしまう。だから怖くて、だから楽しい。
明日のパーティーに向けて、わたしはその一本を、ドレッサーの真ん中に置いた。あとはもう、選び終わった。
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組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:上辻 敏之

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