鏡の前に座ると、世界がすこし変わる。
九月のまだ残暑が抜けきらない朝、窓から差し込む光はうっすらと金色で、カーテンの端がそよぐたびに部屋の空気がゆらいだ。洗面台の横に並んだコスメたちが、その光を受けてひとつひとつ静かに光っている。ファンデーションのケース、小さなチーク、くちびるの色を選ぶためのリップ。どれも、彼女が少しずつ自分のお小遣いで集めてきたものだ。
彼女は今年の春から高校生になった。制服のリボンをまだうまく結べなかった四月が、もう遠い記憶のように感じられる。
2026年のトレンドは「血色感のあるヌーディーメイク」で、素肌感を残しながら自然な美しさを引き出すスタイル
だと、どこかの美容サイトで読んだ。難しそうに聞こえるけれど、要するに「盛りすぎない」ということだと彼女は解釈している。それが、今の女子高生の正解らしい。
ブラシを手に取る。ふわりと軽い感触。コーラルピンクのチークを頬骨のすこし高いところにのせると、鏡の中の自分がほんのりと温かみを帯びた。香りは、ほとんどない。でもそのぶん、粉の細かさだけが指先に伝わってくる。この静かな感触が好きだ、と彼女は思う。小学生のころ、母親のドレッサーに並んだ口紅をこっそり触ってみたことがある。怒られた記憶とともに、あのなめらかな感触だけは今でも鮮明に残っている。
2026年のメイクトレンドは、「作り込まずナチュラルで勝負する」という時代の流れから生まれている
。ソフトゴスやキラキラコスメで個性を表現する子もいれば、素肌感を大切にしながらウェルネス美容を意識する子もいる。どちらが正解かではなく、自分に合うものを選ぶことが、いちばんのトレンドなのかもしれない。
彼女が最近お気に入りのアイテムは、「ルミエール・ドゥ」というブランドの薄づきティントリップだ。架空のフランス語みたいな名前だけれど、中身は国産で、成分表示がシンプルで安心できる。
リップはぷるんとした艶と血色感を意識することで、主張しすぎない色味でも今っぽい存在感のある口元が完成する
——まさにそのコンセプトで作られたような一本だった。
眉を整えながら、ふと手が止まる。スクールバッグの中に眉マスカラを入れ忘れたことに気づいたのだ。昨日、充電ケーブルと一緒にポーチから出して、そのまま机の上に置いてきてしまった。まあ、いい。今日は眉マスカラなしで行こう——と心の中でひとつツッコミを入れて、彼女は小さく笑った。
今の女子高生のSNS行動の中心には「リアルな瞬間をいかに手軽に残し、共有するか」というニーズがある
。加工や演出よりも”ありのまま”をコンテンツ化する流れは加速していて、ナチュラルメイクはその文脈ともぴったり重なっている。作り込んだ顔より、素の自分に近い明るい表情のほうが、今は圧倒的に「かわいい」とされる時代なのだ。
メイクを終えて、もう一度鏡を見る。
さっきと同じ顔なのに、なんだか違う。目が少し大きく見えるような気もするし、顔全体がひとまわり明るくなったような気もする。メイクは不思議だ。塗ったものの量は、ほんのわずかなのに。
これが「コスメの力」というものだと、彼女はうまく言葉にできないまま感じている。女子高生として過ごす毎日の中で、メイクはただの「おしゃれ」ではなくなってきた。鏡の前に座るこの時間が、自分を整える儀式になっている。明るい表情で外に出るための、小さくて確かな準備。
ナチュラルメイクは、「何もしていないように見せる技術」だと言う人もいる。でも彼女にとっては違う。それは、「ありのままの自分を、いちばんきれいに見せる技術」だ。
窓の外で、九月の風が木の葉を揺らした。鞄を肩にかけて、彼女は玄関へと向かう。眉マスカラなしの今日も、きっと悪くない。
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組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:上辻 敏之

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