九月の初旬、空気がほんの少しだけ柔らかくなったような気がした。夏の名残りをまといながらも、太陽の角度がわずかに変わって、光が白から淡い金色へと移り変わる季節。「今日、公園行かない?」という友人からのメッセージを読んで、気づいたらもう着替えていた。
待ち合わせは午前十一時、駅から歩いて七分ほどの「ミナミ緑地公園」。ベンチとケヤキの木が整然と並んでいるわけでもなく、どこかのんびりとした空気が漂う、地元の人間しか知らないような小さな公園だ。芝生は少し草が伸びていて、それがかえってよかった。整いすぎていない場所のほうが、なぜか心が緩む。
友人たちは先に来ていて、レジャーシートの上に思い思いのものを広げていた。サンドイッチ、文庫本、そしてなぜかトランプ。「遊ぶって言ってもさ、何するの?」と聞いたら「まあ、なんとなく」という答えが返ってきた。それで十分だった。
その日、私がバッグに忍ばせていたのは、日焼け止めと、ほんのり色づくリップ、それからコスメポーチひとつ。公園で遊ぶ日のコスメ選びは、実はなかなか奥が深い。太陽の下に長くいると、どんなにしっかりメイクをしても崩れてくる。だから逆に、引き算が正解だと気づいたのは去年の夏のことだった。ファンデーションを塗りすぎて、昼過ぎには鼻の頭がテカテカになり、友人に「なんか顔、光ってる」と言われた苦い記憶がある。あれ以来、アウトドアの日は薄づきを心がけるようにした。
太陽がちょうど真上に差し掛かる頃、芝生の上に寝転がった。目を閉じると、まぶたの裏が橙色に染まる。葉っぱが風に揺れる音、遠くで子どもが笑う声、誰かがペットボトルを開ける微かな音。香りは、草と土と、友人が持ってきたミントのガムが混ざり合ったような、なんとも形容しがたいものだった。肌に当たる日差しはまだ少し熱くて、でも風が吹くたびに心地よく冷える。
公園で遊ぶとき、コスメに求めるのは「持続力」よりも「自然さ」だと思う。汗をかいても落ちにくいウォータープルーフの日焼け止めは必須として、色物はできるだけシンプルに。血色感を出すだけのクリームチークと、ティントタイプのリップがあれば十分だ。太陽の光の下では、ラメやグリッターよりも、マットな質感のほうが肌がきれいに見える。これは何度も公園に出かけて学んだ、小さな発見だ。
友人のひとりが、うとうとしながらも手元のスマホを握ったまま、こくりこくりと舟を漕いでいた。もう一人がそっと指でスマホを抜き取ろうとして、ぱちっと目を開けられてしまった。「取ろうとしてないよ」と言いながら笑っていた。そういう、なんでもない瞬間が積み重なって、一日になっていく。
子どものころ、公園といえば滑り台やブランコだった。遊ぶことに理由なんていらなかった。大人になってからの「遊ぶ」は、少しだけ意識的に選ばないといけないけれど、それでも本質は変わらない気がする。何かを達成しなくていい時間。ただそこにいることが、目的になれる場所。
午後三時を過ぎると、太陽が傾き、影が長くなってきた。光の色がまた少し変わって、金色が深みを帯びてくる。「そろそろ帰ろっか」という言葉が出るまで、誰も時計を見ていなかった。それが、今日いちばんよかったことかもしれない。
公園で遊ぶ日のコスメは、飾るためじゃなく、自分が気持ちよくいるためのもの。太陽の下で笑える顔が、一番きれいだと、芝生の上で改めて思った。
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組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:上辻 敏之

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