カーテンの隙間から差し込む朝の光が、フローリングの上に細長い縞を描いていた。5月の末、土曜日の午前9時すぎ。アラームをかけ忘れた日に限って、不思議と清々しい時間に目が覚める。
起き上がって窓を少し開けると、外の空気が頬にふわりと触れた。夏の手前の、まだ湿気を帯びていない風。青葉の匂いが混じっていて、それだけで肺の奥まで深く息が吸える気がした。こういう朝が、休日の本当の始まりだと思う。
キッチンに立って、お気に入りのハーブティーを淹れる。「ソレイユ・ヴェール」というフランス語名の国産ブランドで、カモミールとレモングラスをブレンドした淡い黄金色のお茶だ。マグカップを両手で包むと、ほんのりした温もりが指先に広がる。平日はコーヒーを急いで流し込むだけなのに、今日はその熱さをちゃんと感じながら飲んでいる。それだけで、もうリラックスが始まっている。
お茶を飲み終えて、洗面台に向かった。鏡の前に並べたコスメたちを、改めてゆっくり眺める。平日は時間に追われてほとんど触れないアイテムたちが、今日はちゃんと出番を待っていた。
子どもの頃、母の化粧台を覗くのが好きだった。ずらりと並んだ小瓶や細いブラシが、なんだか魔法使いの道具箱みたいで。こっそり口紅を唇に塗ってみて、あまりの赤さに慌てて拭いた記憶がある。あの頃は「きれいになる」ということが、どこか遠い大人の話だと思っていた。
今は違う。きれいになることより、自分の肌を丁寧に扱うことの方が、ずっと大切に感じている。
まず日焼け止め効果のある薄いUVクリームを顔全体に伸ばした。ファンデーションは使わない。今年のトレンドも、肌本来の質感を活かす薄づき仕上げ。コンシーラーで気になる箇所だけ軽くカバーして、あとは素肌のまま。指先でぽんぽんと叩き込むように馴染ませると、鏡の中の自分がすこし生き生きして見えた。
眉を整えながら、ふと手が止まる。眉ブラシを持ったまま、なぜかぼんやりと窓の外を見てしまった。(あ、眉毛、まだ片方しか描いてない)と気づいたのは、しばらく経ってから。こういうことが、休日にはよく起きる。急いでいないから、思考があちこち散歩に出かけてしまうのだ。
チークはピンクとベージュの中間、くすみのあるニュアンスカラーを選んだ。頬骨の高い位置にふんわりのせると、鏡の中に自然な血色が生まれる。リップは透け感のあるコーラルベージュ。素肌から滲み出るような色で、主張しすぎない。でも確かにそこにある、という存在感。
仕上げに、まぶたの中央だけ細かいパールをひと塗り。窓から差し込む光が当たると、まばたきのたびにかすかに輝く。派手ではない。でも、ちゃんと自分のためのきらめきだ。
全部終えて、もう一度鏡を見た。誰かに会う予定もない。どこかに出かける計画もない。それでも、今日の自分がすこし好きだと思えた。
休日のメイクは、誰かに見せるためじゃなくていい。自分の手で、自分の顔を丁寧に扱う時間そのものが、一番のリラックスになる。そのことに気づいたのは、わりと最近のことだった。
ソレイユ・ヴェールのお茶を、もう一杯淹れようと思う。今日はまだ、午前中が丸ごと残っている。
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組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:上辻 敏之

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