七月の夕暮れは、思ったよりも長い。窓の外がまだ薄紫に染まっているのに、時計はもう七時を回っていた。ドレッサーの前に座り、小さな照明をつける。オレンジがかった柔らかい光が、鏡の中の自分をほんの少しだけ優しく映し出した。
今夜は、パーティーだ。
友人のマユコから誘われたのは、もう三週間も前のこと。「絶対に来てね」と言われて、「もちろん」と答えた瞬間から、どこかそわそわした気持ちが胸の奥に居座っている。期待、という言葉が一番近いかもしれない。でも正確には、期待と少しの緊張と、あとはうまく言葉にできない何かが混ざり合った、あの感覚だ。
コスメポーチを引き出しから取り出す。ファスナーを開けると、ほんのり甘い香りがふわりと広がった。先月買ったばかりの「ルミエール ド ソワ」のリップグロス――架空のブランドだけれど、名前の響きが好きで選んだ――がいちばん手前に入っている。
ベースを丁寧に伸ばしながら、ふと子どもの頃のことを思い出した。母の化粧台の前に座って、こっそりチークブラシを頬に当てていたあの午後。母に見つかって、「まだ早い」と笑われたこと。あのときの「まだ早い」が、今夜ようやく追いついてきたような気がして、少しだけ口の端が上がった。
アイシャドウのパレットを開く。今年はディスコグラムのような煌めきが流行っているらしく、ゴールドとテラコッタを重ねるグラデーションが気分だった。ブラシを持ち替えて目元に乗せていくと、光の粒子が瞼の上で揺れる。鏡の中の自分が、少しずつ「今夜の自分」に近づいていく感覚。
パーティーには、知らない人がいる。
それが少し怖くて、でもそれが一番楽しみでもある。出会いというのは、いつだって予告なく訪れる。去年の冬、偶然隣に座った女性が、今では月に一度ランチをする友人になっていた。あのとき彼女がワインを注ごうとして、グラスではなくテーブルクロスに注ぎかけたのを、今でも二人で笑い話にしている。そういう小さなズレが、むしろ距離を縮めることがある。
マスカラを塗る。利き手ではない左手で睫毛の根元を押さえながら、ゆっくりとブラシを動かす。窓の外から、どこかの家の夕食の匂いが漂ってきた。醤油と、出汁の混ざったような、懐かしい匂い。不思議と、落ち着く。
リップを仕上げに塗る。
鏡の中の自分を、少しの間だけじっと見つめた。完璧ではない。でも、今夜の自分にしては、悪くない。そう思ったとき、スマートフォンが震えた。マユコからのメッセージ。「もう出た? 先に着いてるよ〜!」
慌ててコスメポーチを閉じ、立ち上がる。ヒールを履いて、ドアノブに手をかける瞬間、胸の中の期待がまた少しだけ大きくなった。
今夜どんな出会いが待っているか、まだ誰にもわからない。でも、この高揚感こそが、パーティーへ向かう夜の醍醐味なのだと、鏡の前でコスメを重ねながら、あらためてそう思う。
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組織名:株式会社スタジオくまかけ / 執筆者名:上辻 敏之

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